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■ シティ・カブリオレへのアプローチ

シティが発表され、その反響もひと通り確認できた頃、プロジェクトチームは一新された。最初のチームは、今後のシティの発展をすべて新しいチームに委ねることになる。シティ・ターボから新しいチームが担当したというから1981年/昭和56年からである。シティ・カブリオレも、もちろん新しいチームの手で形づくられた。大蝶さんの話を伺いながらカブリオレの開発プロセスを追ってみよう。

シティ・カブリオレの企画自体は、前述のようにシティ開発時からあったものだが、実際に具体的な形でスタートしたのは、デビュウの2年ほど前、1982年/昭和57年であった。排ガス規制などへの対応も一段落し、クルマに再び愉しい時代の訪れが予見されはじめたのを察知したホンダは、早速に企画を現実のものにするために動き始めたのである。

「シティは非常によくできた小型車です。何かひとつとってしまうことで、全体のバランスを崩すことのないように注意して進めました。それと、カブリオレに関しては経験豊富でノウハウを持っているピニンファリナ社の協力を得ました」

ピニンファリナは、フェラーリをはじめとして、数々の名車のデザインやコーチワークを行ってきた。近年ではシティとそっくりな大きさ、構造のタルボ・サンバ・カブリオレなども手がけており、その辺りのノウハウは充分なはずだ。唯、ルーフを取り去ればカブリオレになる、というわけでもない。とくに補強のよってボディ剛性を保つこと、幌(ソフト・トップ)のとりまわしなど経験がモノをいうところだ。

「基本的なホネの入れ方からピニンファリナにまかせました。全体で40kgほど補強材が加えられています。普通、クルマの変型は曲がりとねじれがありますが、オープンの場合、後者が大きな問題になります。本当は、オリジナルのシティの部品が少しでも多く使えるとコスト的にも楽なのですが、結局使えたのはエンジン・ルームとフロアくらいになってしましました」

具体的には、シティの完成車をピニンファリナ社に送り、実際に加工をして貰う。10枚ほどのスケッチにつづいて、約6カ月ののちにデザインのみを見るためのプロトタイプが完成。次にそれは、強度テストまでを済ませた形になり、デザインの細かい点をリファインするためのやりとりののち、最終的に1年ほどかけてホンダの手に戻ってきた。

05カブリオレのデザイン総括 大蝶善昭主任研究員(当時)

「本当はオリジナルのシティ部品が少しでも多く使えるとよかったんですが、結局はエンジン・ルームとフロアくらいでしたね。ピニンファリナへは、普通タイプのシティを送ったので、ブルドッグの下を使うのはこちらのアイディアですよ」

たとえば、リア・ウィンドウをガラスにすること(日本で使う場合は必ずや後方視界は問題になるだろうから)、センターピラーの角度などが小変更されたが、全体的にはシティ同様スムースな進行であったようだ。

「日本は気候条件が悪いですよね。それとイタリアなどでは、オープンだから雨の時は水が進入してきても当り前、という基本認識があるでしょう。日本ではそれは認めて貰えませんからね」でも、結論的には、さすがにピニンファリナ。ソツなく、しかもソフト・トップのとり回しなど一級の完成度をシティ・カブリオレに与えている。

−−−協力先はピニンファリナしか考えなかったのですか。

「いや、総合的にピニンファリナに決まりましたが、他にもカルマン社(西ドイツ、ゴルフ・カブリオなどを生産)、ベルトーネ社(イタリア、フィアット・リトモをベースのカブリオレなどを生産)、フーリエ社(フランス、ルノー5ターボなどを生産)などが候補にあがっていました」


■ 夢をひろげるシティ

シティ・カブリオレの最後の味つけは、ホンダ自身の手で行われた。フェンダなどをブルドッグ・ベースとしたのも、ファッション性がより高いという理由で、大蝶さんたちのチームが考えた。

こうして、いよいよシティ・カブリオレはデビュウするわけだが、もうひとつ、一番尋ねてみたかった質問をした。

−−−運輸省の型式認定は問題なかったですか?

日本の役所はお硬いことで有名だ。ドア・ミラーもなかなか認可されず、シティも最初はフェンダからニョッキリ不釣合なミラーが生えていたものだ。「ところが意外なほどスムーズでしたね。カブリオレの場合、もし認可が下りなければ4ナンバー、ということまで考えていたんですが、それは杞憂に終わりました。よかったです」

シティ・カブリオレの実際の生産は、協力工場である東洋工機で行われる。工場の特徴を活かして、小回りがきき、カブリオレを月産500台というのには絶好であろう。

「世の中、クルマに対する認識度もしだいに高まってきていますから、カブリオレなど、幅広いニーズに応える愉しいモデルも増えてくると思いますよ」

「シティ・カブリオレは、クルマにこだわる人たちにまず受け入れられるでしょう。そのため、広報用のカブリオレには横浜ナンバーを用意したのです。湘南ムードのクルマですからね」同席の広報部Iさんも強調する。

−−−最後にシティの今後はどう拡がっていくでしょうか?

「ひと通り大きなことは実行しましたね、あとは、そうだなあ、どんなクルマが欲しいですか?」

「でも心弾ませてクルマつくって、それを使う人にも心弾ませて貰いたい。いや、そういうクルマづくりをしないならば、ホンダなんてメーカーはなくてよいことになりますよ」

その通りだ。”つくる人たちが愉しんでクルマをつくらねば、愉しいクルマなんてつくれるはずがない”とホンダは標榜している。具体的には教えて貰えなかったが、シティは、そしてホンダはますます、われわれクルマ好きをうれしくさせるクルマを提供してくれるにちがいない。3人の笑顔にそれを感じて、実りの多いインタビュウを終えたのであった。

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いかがでしたか?

残念なことに国内では現在、フルモデルチェンジされたGA型を最後にCITYブランドは消えてしまいました。しかし、現在販売されてるクルマにも未だ、CITYの思想・スタイルが生き続けてる気がしてなりません。それはCITYが生まれるずっと前からあったものなのかもしれません。

06.jpg でも、いつかきっとまた、
ホンダは新たなCITYを創ってくれるでしょう。
いや、創ってくれるに違いありません。
絶対に創ってくれますとも!
創ってくれますよね・・・(kazzee)


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