homemodifyTURBO II ⟩ BULLDOG Racer Replica 第2世代


report: Hirohisa

作成の経緯

事の発端は、2008年1月にシティオーナーズクラブ主催で開催された富山県氷見市・寒ブリミーティングに参加した際に、その宴会の席で主催者の「今ならもう一度ブルドックレーサー(以下、ブルレ)を作成できる」という言葉から始まりました。

実は、遡ること2002年に一度、有志達によりレプリカを作成していましたが、当時はまだその話を知らず、その後に、作成の要である外装パーツのFRP型の劣化等により外装の再作成が困難な状況となっていました。

2007年頃に2名のオーナーが物損事故等により再度外装パーツの一部を作る必要となったため、再作成へのハードルが低くなっていました。その言葉を聞いたときに、美味しい日本酒に酔いながらも、ブルレ作成する事を決意しました。


準備開始

01宴会より帰宅後、まず当時所有していた白のシティカブリオレを友人に売却し、ベース車両となるブルドックを探すことから始めました。しかし、作成開始当時でも製造から30年近くたっており、探してもまったく見つかりませんでした。

その数か月後、ふと見ていたインターネットオークションでたまたま四国からが出品されていたので、現物を見ずに入札・購入しました。しかし、作成開始後に発覚するのですが、車両状態が悪く、作成における苦労を背負う羽目になりました。

次に、のこりの外装パーツの作成をどうするか思案していました。そのとき偶然にも、黒ブルドッカー忍NINさんが全塗装をするとの事だったので、頼みこんで再度、型取りし、残りの型・エアロの再作成ができました。

02これで、車両と外装がそろったので、つぎはエアロの取り付けなど、ボディ作成を依頼する工場を探すことにしました。

今回の車両では、長期的に使用をすることを考えていたので、ボディ剛性アップと防錆処理をと考えていたので、それらの経験と技術のあることを前提として絞り込みました。その結果、レース車両の作成経験のある工場であり、ほかのブルレの主治医となっていた「安岡車体製作所」に依頼することになりました。

2009年12月には、依頼先の受け入れ準備が整ったことから、友人と一緒に工場に向かい、到着後、どのように完成させるのか安岡さんと打ち合わせをしました。

安岡さんから、私の希望に対して、様々な提案をうけ、最終的に、ボディ剛性アップについては、スポット増しと補強バーおよびブレス取り付け、防錆処理については、下回りを中心に実施することとなり、作成開始となりました。


作成開始

今回の作成では、一度ホワイトボディ状態まで分解し、ボディ補強と防錆処理を行うこととしていたことから、その過程で車両の状態確認おこなったのですが、分解が進むにつれて、色々問題が発覚しました。

まず外装を外し、ボディ後方を確認したところ、後部に追突跡があり、その時の修理がいい加減だったため、パネルが、歪んでいたため、その板金修理が必要になりました。

またボディのチェックをすすめて行くと、サイドシルにウレタンが注入されていたことが発覚したため、スポット増しを実施すると中のウレタンが燃えるなどして、錆の温床となってしまうことから、その部分のスポット増しを断念しました。

ほかにも、塗装についても中途半端に全塗装がしてあった上に、ウレタン系とアクリル系の特性を無視して重ねてあったために、作業中に塗装が剥がれるなど、アクシデントが続きました。


錆とのたたかい

03一番ひどかったのは、左右ドアでした。ここは、一度新品部品に交換がされていましたが、内側の防錆処理がなにもなされていなかったため、錆が進行し、ドアの取り付けヒンジ部分付近まで大穴が開いており、再使用を断念するほどでした。

そのため、オーナーズクラブつながりで、錆は少しあるものの、程度の良い左右ドアを譲ってもらい、交換することで対処することができました。

その他の錆も見つけては、サンダーで削り取り、錆取り及び錆防止剤などを駆使しながら、再度錆が発生しないように処理をすすめて行きました。


外装パーツの取り付け

04ボディの錆取りが済めば次に外装パーツの取り付けとなりますが、外装パーツについては、元々が、当時レースで使用していた車両からの複製品であることから、歪みや、FRP特有の縮み等があり、メーカー新品のようにポン付けできるわけではなく、各部の調整しながら取り付け、あわせて、錆を発生させないために、防錆剤の塗布や、シーリング等防錆処理をしながら、ボディの完成になりました。


色の決定

06錆も一通り処理が終わり、外装パーツの取り付けも済み、次に悩んだのは、塗色の決定でした。

塗色についてはその時点でツインリンクもてぎにある保存車両がオレンジ、初回の作成車両が黒、青、黄があり、同時に作成中のまあにnさんが緑とのことだったので、色については、白か赤で悩んでいました。そこで、作成している工場にレースベース車はどのような塗色で納車されるのか聞いてみたところ、レースベース車の場合は一番安い白色が多いとの事だったので、NH-82(グリークホワイト)とすることが決定しました。


車体ボディの完成・登録

この時点で作成開始から2年が経過しており、完成時期が見えてきたことから、イベント時期に合わせることとし、シティ販売30年周年を記念して開催される鈴鹿全国ミーティングが2011年11月あることから、それに間に合わせるということで決定しました。

それからは、東日本大震災の影響により塗料の供給が滞ったり、一部の部品が製造中止になっていたことが発覚したりと問題はその後も発生しましたが、何とか期日の完成にこぎつけました。しかし、完成後も、ラジエターのアッパータンクからLLCが滲み出すという問題が発生したので、中古部品に交換するなど対応しました。そのため、最終的に指定工場に依頼して、新規登録が終了したのが、ミーティングの2日前でした。

そして、前日の夜に前夜祭として、自宅にブルレオーナー等であつまり、近くのお店で懇親会を開催し、祝杯をあげました。


鈴鹿全国ミーティング

07むかえた全国ミーティング当日、あいにくの曇り空の中、会場の鈴鹿サーキットに向かいました。

2008年頃まで全国ミーティングといえばツインリンクもてぎのホンダコレクションホールを会場として開催していましたが、2011年当時は開催もなく、各地で地方ミーティングが開催するだけどなっていました。

久しぶりのミーティングということで、全国から56台があつまり、数年ぶりに会うメンバーと近況報告をし、車両の維持についての情報交換をしながら、夕方のサーキットランの時間を待ちました。サーキットランということで、レースのように競争をするものではなく、マーシャルカーが先導につき、その後ろを走るものですが、当時レースをしていた同じコースを走ることができたので、感慨深いものがありました。

こうして、無事鈴鹿全国ミーティングを終えることができました。


その後の維持について

全国ミーティング後のシティについてですが、もっぱらイベント用の車両と化したこともあり、年間走行距離は2000km程度となっています。

現在は、部品の枯渇による流用部品への変更などを実施して維持しています。例えば、ホイールについては、14インチ、PCD100、リム幅7J、オフセット±0という、ほとんど販売されていないサイズなので、現役当時販売されていたホイールをオークションで探し、磨いて使用しています。

また、メインキーの接点が摩耗して、ハンドルロックはかかるものの、スターターが回らなくとこがあったので、S2000のスタータースイッチを増設しました。点火系については、合衆国製のものに変更、ブレーキについてもフロントはブレンボのキャリパーに、リアは初代インサイトのドラムブレーキに変更しています。


最後に

08話を車両作成にもどして、今回の一番苦労したのは、やはり部品の調達でした。

製造より制作時で30年、執筆時点(2023年5月)では40年経過しているので、新品部品はおろか中古部品でさえ見つからない事が何度もありました。しかし、中古部品についてはオーナーズクラブの知人からの支援や依頼した整備工場等が部品を探してくれたり、他車部品の流用情報を教えていただいたりして、無事完成させることができました。

二番目は、ベース車両の経年劣化による作業工程の増大です。製造から制作当時で30年は経過しているので、錆等の経年劣化はひどいものがあり、これによる作成コストの上昇は避けられませんでした。

以上のように購入から作成、完成、お披露目と書いてみましたが、完成させることができたのは、オーナーズクラブという組織があり、それに参加してつながりがあったからではないかと思います。

最後に今回の作成に関わって協力いただいた各位に感謝しつつ、今後も車両を維持できるようにがんばっていきたいとおもいます。

(2020年頃に某書で執筆した「ブルドックレーサーレプリカ作成記」に加筆修正しています)


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