日付が変わり、震災から5年となりました。
ちょうど5年前の今日、この世が終わるのか?と思うほどの大地の揺れを感じ、テレビでは現実とは思えない状況が映し出され、数日間は夜も明るい国道が真っ暗でコンビニやスーパーの棚からは食料を始めとする商品の姿はなくなり、水道は2週間ほど止まり、娘のオムツさえも買えない状況が続き、ガソリンスタンドは連日閉店。わずかなガソリンを販売するスタンドにはガソリンを買える保証もないのに連日ガソリンを求める為に長蛇の列。
原発が水素爆発して、このあと俺たちどうなるんだ?と不安な日々が続きました。
何気ない毎日の中でそんな日々が頭の中から薄れているのか?と思われますが、こうしてふと考えると鮮明にあの日の事を思い出します。
地震、原発、風評の中、私は水害も経験しました。
どこまで追い詰める?と思うなか、いつも救ってくれたのはcityな方々でした。地震直後も水害のあとも、安否を確認してくれたり、小さい子供をまず食べさすために食料を送って頂いたり、会社にまで来たり。
本当にあの時は救われたと今でも思っています。
そして、今日までに福島の風評の為に福島に足を運んで頂き福島にお金を落としてくれたのはやっぱりcityな方々でした。
この広い世の中で、この福島に何が出来たかはわかりませんが、風評の被害にあっていた福島の人間はcityな方々の熱い思いに心うたれ感謝し続けています。
これからも引き続きよろしくお願いします!
部品のやり取りをして、ありがとうと言われますが、これは私なりの恩返しかもしれません。cityにそしてcityな方々に助けられた私。私の環境で、私が出来る事をみんなにやっているだけ。人それぞれ得意分野があり、今度は私が私にない分野で、みなさんに助けられると思います。その時は、どうか助けて下さいね。
5月には被災前に私が初めて参加したミーティングの気仙沼ミーティングと同じ気仙沼でのミーティングを被災後の5年後に企画しております。
参加される方々にはきっと大きく衝撃的な思いが心に突き刺さる事でしょう。
あの日を忘れないためにも、5月のミーティング参加頂ければと思います。
参加のコメントは気仙沼ミーティングの方でお願いします。