1982年9月発売。元ホンダF1チーム監督・桜井淑敏氏を中心にホンダ独自の電子燃料噴射装置・PGM-FIと、IHIと共同開発のターボ加給器を装備し、足回りを強化したモデル。本田技研が初めてターボを搭載した市販乗用車。小型車で電子制御の噴射装置を搭載した初のモデルでは?との噂もあり。一般的に「ターボ1」と呼ばれている。AA-13型からはドアミラー仕様が追加された。
1983年10月発売。TURBO型のフルモデルチェンジ。TURBO型エンジンをベースに圧縮比やターボコントロール系の見直しを受け、10馬力の出力アップを果した。更にブリスターフェンダーボディとインタークーラーを標準装着し、派手な外観で当時のカスタムショップを震え上がらせた(?)。TURBO型と同様の専用デジタルメーターを装備。
1985年3月発売。TURBO II型のマイナーチェンジ。変更点は内装色の変更・グリルデカールの立体化・一般的なアナログメーターなど少ないものの「電子燃料噴射装置・PGM-FIの特性がややおとなしくなってしまった」「サスセッティングが柔らかくなった」など、当時は噂がまことしやかにささやかれていた。車両重量は前期型より5kgアップし740kgとなった。
1984年3月より、鈴鹿F2レースの前座戦として始まったN2仕様のワンメイクレース。その専用車両としてフルチューンされた車両。ベース車はTURBOあるいはTURBO IIだが、どちらも無限製の外装部品(由良拓也率いるムーンクラフト社デザイン)が組み込まれた為、外観上での違いはない。
当時、無限製の専用部品を組み込んだ場合の費用は、TURBOベースでは約140万円、TURBO IIベースでは約130万円(共に車両除く)。なお、無限はレース用完成車の受注生産も行っていた。
開催当初は『CITY TURBOレース』のタイトルだったが、翌年『CITY BULLDOGレース』と言う名称に変更された。実際の競技では17台前後の車両がエントリーして白熱したレースを繰り広げたが、相次いで発生した接触や横転などにより(CITYのブランドイメージを悪くするとの懸念が働いたのか?)、およそ2シーズン開催ののち閉幕した。